ベトナムを代表する総合物流企業PTVを運営するチェ・ブンド社長。|安・ビョンチョル記者


[スポーツソウルドットコム|安・ビョンチョル記者] “韓商”が世界各地で活躍している。わずか十数年前はスーパーやお酒販売店などの単純な小売業にとどまっていた彼らの事業だが、今は単純な小売業から脱皮して不動産、物流、リゾート、ITなど事業領域を大きく拡大している。まさにグローバル・コリアにふさわしい国際韓商に成長したのだ。


国際韓商のうち、ベトナムの韓商を代表するのがPTVのチェ・ブンド社長だ。あまり知られていないが、80カ国600社のパートナー企業と手を組んで、年間5万件を超える輸送代行を行っているベトナムの代表総合物流企業である。ベトナムの経済発展に伴い、物流輸送の需要が大幅に増えると予想したチェ社長の勝負が見事に的中し、2013年基準で創業から9年だけで年間売上高1800万ドルという実績を達成した。


このようなPTVの高い成長率と経済寄与度は、韓国よりベトナムで先に認められた。2012年、ベトナム政府は、PTVの貢献度を認め、CSR優秀企業長官賞を授与し、2013年にはベトナム500大中小企業(43位)に選定した。名実共にグローバル韓商を代表する企業であることを証明したPTVは、ベトナムの市場潜在力を考えると、今後も持続的な成長が期待される。


ここまでは、「常勝疾走」という表現がぴったり当てはまるPTVの歩みだ。しかし、今の位置まで辿りつくには、涙なしには見られないチェ社長の苦難と逆境があった。


チェ社長が最初に始めた事業は、韓国の消防設備をベトナムに納品する貿易業。以前勤めていた貿易会社を介して結んだベトナムとの縁で、1995年に会社を出て自分のビジネスは始まる。ベトナムの国営会社と契約を結ぶなど、最初の出発は好調ぶりだった。しかし、1997年韓国を襲ってきた通貨危機で事業は重大な岐路に立たされる。チェ社長は2002年、本拠地をベトナムに移す。正面突破のための背水の陣であったが、物事は意のままに進まなかった。中国から激安な製品が押し寄せてきたのも痛かったが、同じ韓国人に騙される詐欺に遭ったのが、絶体絶命の危機につながる決定的な要因だった。


チェ社長の選択肢には二つしかなかった。韓国に帰るのか、挑戦するのか。チェ社長は挑戦を選択した。あきらめるには、ベトナムの市場潜在力はあまりも大きかったからだ。チェ社長は、このようなベトナムですらビジネスチャンスを生かすことができなければ、一生成功のチャンスは来ないと思ってすべてをかけた。結果から言うと、見事に人生逆転に成功する。


そんな彼の“七転び八起き”の人生ドラマは、今までも韓商の誇りだ。特に、グローバル・ビジネスを準備している次世代韓商たちには尊敬の対象となっている。このような世相が反映され、6月13日、世界韓人貿易協会(WORLD OKTA)東京支部が主催した「第12期 在外同胞次世代貿易スクール2014」はチェ社長を講師として招いた。

 

ベトナムの市場潜在力に魅了されたチェ社長は、2002年にベトナムに渡り、事業を開始する。|安・ビョンチョル記者


チェ社長は、ベトナム通らしく、ベトナムの現状と潜在力を具体的に説明しながら、次世代の韓商を夢見る多くの人々にどのような心構えと準備が必要なのかを自分の経験を介して語った。 <スポーツソウルジャパン>は、東京を訪れたグローバル韓商の代表チェ・ブンド社長を同日に直接会って、彼の七転八起の人生ドラマを聞いてみた。


-目覚ましい発展を遂げているが、PTVが初めての事業ではないと聞いた。最初の事業は何だったのか?


27歳に初めて就職した。消防設備を製造する会社の海外営業パートに配属されて、そこで担当した地域がベトナムだった。いつか自分の会社を起業するという夢があったので、一生懸命に学んでいたのだが、入社して1年後の1995年に会社が倒産した。突然の失業に慌てたが、今がチャンスかも知れないと思って、会社の消防製品をもらって自分の貿易会社を立ち上げることにした。最終的には、ベトナムへの輸出に成功して、それがスタートになった。
組織生活よりも一人で自由に動くのが好きだった。さらに、良い学歴があるわけでもないし、偉い家柄を持つわけでもない。そのわけで“こんなコネでは、人生を変えることができない。人生逆転には起業しかない”という考えを子供の頃から持っていた。今考えると、大きなビジョンや目標を持つ起業ではなく、ただの出世欲に過ぎない。そんな単純な思いで始めた事業が、都合良く最初の取引に成功して、事業を始めることになったのだ。大きな収益を得られなかったが、28歳の青臭い青年が人生の第一歩を踏み出すには十分な結果であった。


-ベトナムに来た理由とは?


97年にアジア通貨危機が勃発して、危機がきた。貿易会社は、特に為替レートに大きく左右される。当時為替レートが急騰した影響で、輸出単価も大幅に高まったことが危機の原因だった。さらに、個人的なことまで重なって、仕事に気を使わない状況が続くようになる。
“1人貿易会社”であっただけに、会社の実績は自然に低迷し始め、最終的には決断せざるを得ない状況が来た。勝負を掛ける時期だと判断して、ベトナムへの進出を真剣に悩み始めた。製造会社ではなく、流通を専門とする会社だったので、あえて韓国にいなくてもかまわないかという結論に達した。バイヤー管理の面でも、ベトナムがはるかに有利だった。それで2002年、家族とともにベトナムに行った。

 

- ベトナム市場への確信があったのか?


95年から出張などを介してベトナムを頻繁に出入りした。その際に感じたのが、こんなに魅力的な市場はどこでもないということだ。特にベトナムは、文化や歴史的な面で韓国と非常に似ている。戦争ですべてを失った韓国が再び立ち上がった背景には、教育熱と勤勉さがある。ベトナムはそのような面で韓国人と非常に似ていた。ベトナムの教育熱は韓国以上のものだった。その実例として、ベトナムの私教育市場は、ベトナム国内市場でも有数の産業に成長した。今後の見通しも明るい。さらに、ベトナム人は朝4時30分に起床して一日を始めるなど、他の東南アジアと違って勤勉さを身に付けている民族だ。75年に終わったベトナム戦争で廃墟と化した国を立ち直そうとする意志も、韓国のそれと似ていた。色々な面で、ベトナムの成長可能性に確信を持つようになった。


-そのほかに、ベトナムと韓国が似ていることがあったら?


情緖的な面でも韓国と一致する部分が多い。97年にチャン・ドンゴンが出演した「モデル」というドラマがあった。そのドラマが、ベトナムで大ブレイクしたが、その理由はベトナムが儒教的な冠婚葬祭に従う国であるからだった。また、ベトナム人は韓国、中国、日本の中で韓国に最も好感を抱いている。中国は領土問題などで葛藤しており、日本には、過去の侵略の歴史で国民感情が良くとは言えない。韓国が好きな理由は、ドラマや音楽、映画などを通じて“韓国人の情緒がベトナムのそれとそんなに変わらない”と思わせたからだ。特に2002年の日韓ワールドカップで韓国がベスト4まで上がる姿に、多くのベトナム人が感動した。ベトナム人は、当時の韓国サッカーの活躍ぶりを見て、「戦争ですべてを失ったあの国が世界的な強国の仲間入りを果たした。私たちもできるんだ」と、韓国に対する同質感のような感情を感じたという。このような情緖的部分は、ベトナムで“韓国”というタイトルを持って事業するには絶好の条件になると思った。
経済的の条件でもベトナムは魅力的な国だ。まずベトナムは資源を持っている。お米の輸出量が世界1位で、経済発展に欠かせない貴重な石油も保持している。人口も約9,300万人にまで至っている。人口が1億に達する内需市場は、どのようなビジネスを始めても良い環境になる。さらに人口の67%が30歳未満。それは、巨大な消費市場をおまけに確保することができることを意味する。高い教育熱と誠実さを備えた豊富な労働力に、情緖的なコードも韓国と非常に似ている。人生逆転を狙うならベトナムしかないと確信した。

 

-ベトナムで詐欺に遭ったと聞いた。


大きな希望を持ってベトナムに行ったが、想像したこととは随分違った。特に中小企業は、継続的な事業の維持と発展のために、ある程度の流動資金の確保が必要だが、それが絶対的に不足した状況だった。資金問題など色々な悩みを抱えていた時、現地で知り合った韓国人に相談してもらった。その知人は悩みを聞いた後、刺繍機械を買って賃貸すると、月に2000ドルの固定収益が出ると勧誘した。当時、ベトナムには衣類などを製造する縫製工場が多かった。つまり、帽子や衣類などにロゴを刻む刺繍機械を購入して工場に貸すと儲けるという話。十分説得力のある話で、投資価値があると判断したし、自分の事業が正常化されるまでの時間も稼ぐことができると思って投資した。しかし、最終的には、分かりやすい詐欺に終わった。機械の購入で払った5,000万ウォンをなくした。さらに、泣き面に蜂のように、その時期から中国製の激安消化製品がベトナムに押し寄せてきた。当時、中国の製品がどんなに低価格だったのかを言うと、中国製品の販売価格が我々の製品の製造原価よりも低かった。どうすればいいのか全然判断がつかない状況であって、最初の事業を止めるしかないと思った。韓国に戻るか、それともここに残って再び挑戦するかを決定しないとならない時期だった。


-それにもかかわらず、ベトナムに残った理由は?貿易とは無関係な物流輸送を選んだ理由は?


いくつかの側面があったが、新たなビジネスアイテムを発見することになったのが、ベトナムに残った決定的な理由となった。初の事業を止めた後に自分の進路を真剣に悩んでいた時に、韓国人の知人の助けで物流関連会社に入ることになる。そこで担当したプロジェクトが、韓国の製薬会社がベトナム移転の際に必要な機械や設備などの通関・免税関連業務だった。その時、感じたのがベトナムの通関・物流システムが韓国のそれとは結構距離がある不便な仕組みになっていることだった。自然に韓国企業が必要な通関サービスと物流サービスを把握するようになった。それで、既存の物流会社とは違うサービスを迅速に提供すれば、成功する可能性が高いと判断した。しかも当時は、韓国企業のベトナム進出ラッシュが続いている状況。通関サービスだけでなく、原材料の物流や物流代行などの長期的なビジネスアイテムも継続的に確保することができると思った。ただ、手元に資金がなくて起業に積極的に動くことはできなかった。が、運良く韓国人の知人から資金を提供してもらって、2004年に現在の物流会社を設立することができた。


-チェ社長の事業手腕が多くの人々に話題になっている。特に中国の国境から原料を緊急空輸した事は伝説のように語られている。


当時、韓国のある大企業と取引をしていたが、ある日、現地の工場から緊急連絡が来た。製品を生産するための原材料の在庫が底を見せているという話だった。原材料がなくなれば工場を止めるしかない。しかし機械が止まると、一日に約40万ドルの損害が発生する。以前までは、原材料を中国の深圳市から船を使って運送したが、それでは到底時間が合わない状況だった。それで、深圳市からベトナムの国境まで原材料を渡してもらって、陸路を通じて移送する計画を立てた。計画通りであれば、原材料の底つき10時間前には工場に到着することができる。しかし、原材料を受けるために、ベトナムの国境地帯まで行ったところ、状況がそんなに簡単ではないことが分かった。貨物を運ぶトラックは、予想とは違って、専門トラックではなく一般のトラックで、いつ事故が起きてもおかしくなかったし、地元の運転手さんたちにも、約束した時間に合わせて真面目に動いてくれる確信がなかった。もしかしたら、納期を守ることができないと思って、すぐに現地で車を借りて3泊4日間、トラックと一緒に移動することにした。幸いなことに納期の5時間前、無事に工場に到着して、工場が止まる不祥事は起きなかった。


-PTVは、ベトナムの物流業界をリードしているという評価を受けている。それにもかかわらず、難しいことがあれば?


年間6万件の物流量を処理する企業に成長した。昨年の売上高は1800万ドル。ある程度の成長は見せているが、少しも気を許すことができないのが中小企業の現実だ。特に、大企業との競争構図は、多くの中小企業の発展を阻害する要因として働いている。韓国の経済領土が拡張されるためには、同胞社会を中心とした中小企業が先に成長しなければならないと思う。そうなれば、雇用を創出することができて、韓国の若者が海外に進出する重要な足場ともなり、これは再び同胞社会の成長につながる。そんな海外の韓国の中小企業は、新たな市場を創出して良いサービスを提供することで成長の原動力を得ている。ところが、そのように育てた市場を、韓国の大企業が大規模な資本と価格競争を前面に出して侵食してくる。海外にある中小企業は自国の銀行にもそっぽを向かれるくらいに、流動性の面が弱い。資金が不足している中小企業が大企業の物量攻勢に対抗することはほとんど不可能で、PTVも昨年、このような大企業との戦いで大変苦労をした。このようなメディアとの出会いがあるたびにいつも話すことがある。それは“同伴成長”だ。一緒に行くのが共に生き残る道であることを皆が分かってほしい。

 

-PTVをどんな企業に導いたいのか?


PTVを経営する際に一番気を使う部分が、従業員の福祉だ。自慢のように聞こえるかもしれないが、他の企業よりもはるかに高い賃金上昇率を適用しており、100人を超える全従業員を対象にタイ旅行も実施した。また、毎年5人の従業員を選抜して韓国研修を行っている。韓国の先進物流システムを直接体験してもらうのが韓国研修の目的だ。
ベトナムに進出した大企業に劣らない福祉を提供する理由は、彼らと最後まで一緒にしたいからだ。従業員にいつもこう話す。「私たちの会社が倒産すると、このように良い福祉を実施する企業は再びベトナムに来ない。福祉のせいで倒れたと考えるからだ。しかし、我々が成功すれば、他の企業も私たちのように充実した福祉政策を行うことになるだろう。福祉のお陰で成功したと信じるからだ。そうなれば、あなたの子供たちも友人たちも、このようなメリットを受けることができる」と。
事業をすることは私の夢だが、従業員の夢ではない。だから事業の成功は、彼らの積極的な支援と協力をどうやって引き出すのかに掛かっていると思う。それで選択したのが、彼らの夢が叶えられるように私が彼らを助けることだ。そうすれば私の夢が彼らの夢となって、彼らの夢は私の夢になる。彼らが夢を叶ええば叶うほど、私の事業もますます大きくなる。というのが私の考えであり、経営理念である。従業員と一緒に行く企業を作っていきたい。


-次世代韓商を夢見る人々、ベトナムへ進出を狙っている若者たちが準備しなければなら心得があれば?


“人が財産”であることを忘れてはならない。私も多くの失敗を経験してきたが、そのたびにたくさんの方々に助けてもらって、今に至ることができた。若者たちは、人脈作りの重要性を知っているものの、人々が集まるところに行くことを恥ずかしがってあまり行かない。自分自身の地位や職などがまだ足りないと考えているからだ。しかし、人脈とは一方通行ではなく、双方向通行である。
私にできる何かを与えて、その分の支援や助けをもらう。そういう考え方と双方向の交流を通じて、だんだん人脈を広げていくことが真の人脈ネットワークだが、まだ多く若者たちはその本質を知らないようだ。人だけが財産だという心構えが何よりも重要だ。


- 最後に、今後の夢は?


ベトナム内の韓国企業のうち、現地人と最も調和して運営される企業を作るのが夢だ。いつも楽しく過ごせる職場を作っていきたい。

 

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