第19回釜山国際映画祭(BIFF)開幕、レッドカーペットの“露出戦争”はなくなるか?
入力 : 2014-10-02 18:46:00 / 修正 : 2014-10-02 18:46:00

 

過去の釜山国際映画祭で、果敢な露出で話題を呼んだオ・イネ、ハン・スア(中央)、カン・ハンナ。|THE FACT DB

 

「レッドカーペット」は辞書的に「赤い絨毯」を意味するが、映画祭で使う意味は少し異なる。会場に置かれた赤い絨毯自体を指すより、その上を歩くスターたちの衣装、ポーズ、スポットライトを包括的に含んでいる。「レッドカーペットの花」は断然女優だ。女優たちはこの日一日のために禁欲の食事をすることはもちろん、自分に一番よく似合うドレスを見つけ美しく飾る。


韓国最大の映画祭である釜山国際映画祭は、「花になった女優」を見ることができるところだ。アジア最大の映画祭であることを自負しているだけに、レッドカーペットイベントも華やかに行われる。女優は短くは5分、長くて10分ほど与えられた短い時間に、現場の観客と多数のカメラ記者たちを魅了させようと務める。夜に咲く花になった女優の香りが漂う空間である。


しかし、数年前から釜山国際映画祭のレッドカーペットは「女優の露出戦争の章」という非難ではない非難を避けることができずにいる。正確に言えば、新人女優たちが自分を知ってもらうためにレッドカーペット上の露出を、戦略的に選択している。隠すべき部分だけを隠した“くらっとする”ファッションから、見えるようで見えない妙な衣装、胸や脚、お尻までを露出するなど、戦略はさまざまである。


もちろん、これは釜山国際映画祭だけの問題ではないが、大衆の関心が最も高いため、釜山国際映画祭が標的となった。一度目を引くだけで、瞬時にインターネットで取り上げられ「一発スター」に名前を知らせるのである。NAVERとDAUM、NATEなどの国内3大ポータルサイトをさらうのはもちろんのこと、数日間も彼らの名前が話題上にとどまる。完全に露出で宣伝効果を狙ったのであれば、100%の当たりだったわけだ。

 

2011年釜山国際映画祭のレッドカーペット。当時胸のラインを完全に露出する破格ドレスを着た女優オ・イネの登場で、現場はあ然となった。|THE FACT DB

 

しかし、今年の釜山国際映画祭では、これらを見ることができない見込み。2日から開催される第19回釜山国際映画祭は、新人女優の過度な暴露によるノイズを防ごうと、雰囲気刷新に乗り出している。釜山国際映画祭側は、先月初めに開かれた記者会見で、いくつかの女優たちの過度な露出でまだらにされたレッドカーペットの雰囲気を変えたいと強調した。


イ・ヨングァン執行委員長はこの席で「女優さんの露出程度と服装は私たちが決められることではない。また、これを楽しむ方もいる。しかし重要なのは、それなりの待遇を受けなければならない方が被害を受けるという点である。今年は招待作品を中心に映画人を招いてもてなしを備えたい」と述べた。


映画祭の関係者は、「招待映画に出演していないのに、芸能マネジメント協会などを通じて、単にレッドカーペットのみ参加する役者が多かった」とし「そのため招待作品を中心にゲストを選定した」と明らかにした。これとともに「BIFF APANスターロードブルーカーペット」を廃止するなど、映画よりはレッドカーペットのプロモーションだけに集中する芸能人らを防ぎたいと取り組んでいる。

 

今年開催されたカンヌ映画祭で果敢な露出を試みたニコール・キッドマン、ブレイク・ライブリー、エヴァロンゴリア(左から)。彼女たちは華麗なマナーで視線を集めた。|イ・セロム記者

 

実際にこれは、女優の露出が問題になるわけではない。カンヌとヴェネツィアなど有数の国際映画祭のレッドカーペットでも女優たちの派手なドレスファッションはよく見かける。胸のラインを明るく露出することはもちろん、ホットな網衣装も無理なく消化する。海外のスターたちは露出だけでなく、優れたマナーでレッドカーペットを楽しみに来てくれた人々を魅了するのだ。


自分の美しさを誇るスターたちは観客と一緒に祭りを楽しむ。そのため祭りを一緒に楽しむ人に役者たちの露出は大きな問題にはならない。むしろ印象的な歩き方と自信に拍手を送り、映画と自分に会うために待ってくれたファンに、歓迎のあいさつを受けることになる。


しかし、国内のレッドカーペットの雰囲気は違う。特に新人女優はほとんど顔を知らせるための手段としての露出を選択するのである。だから「露出=宣伝」という非難を避けることができない。作品に集中するより映画祭に出席した意味を自分の宣伝だけにするため、痛い視線が送られる。当然のことだ。


<THE FACT>と最近インタビューを行ったある俳優は、「実際映画祭は、衣装を自慢しに行く場所ではない。しかし、たまに映画祭に出席していると、目のやり場がないほど見苦しかった時は少なくなかった。露出も自信というが、度を超えた場合も時にはある。このような傾向がますますひどくなったから、レッドカーペット本来の意味が乱れる。これは確かに浄化する必要はあると思っている」と厳しく指摘した。


今年の釜山国際映画祭は、重度の露出を防ぐために剣を抜いた。映画祭側からレッドカーペットの雰囲気を直接コントロールすると宣言しただけに、今年は「変質されたレッドカーペット」が浄化される見込みである。しかし、今後意味のあるレッドカーペットイベントが行われるまでは、地道な努力が必要と思われる。


THE FACT|キム・ガヨン記者

 

 

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