“日韓IT交流のパイオニア”日本キスコ 全熙培会長、「普段の行動こそ最高の営業戦略!」
入力 : 2014-09-06 13:20:40 / 修正 : 2014-09-06 13:20:40

 

日本キスコ株式会社の全熙培(チョン・ヒーペ)会長。

 

「私のような者が記事になるのかな。ならない!ならない!」
日本キスコ株式会社の全熙培(チョン・ヒーペ)会長が最初に発した挨拶であった。謙虚に自分自身を紹介する言葉だが、1990年代後半から起きた韓国IT人材の日本進出を説明するときには必ず言及しなければならないのが全会長と彼が設立したキスコだ。


韓国がIT強国と称される前の1980年代までは、日本の技術移転に多くの部分を依存していた時代であった。全会長の言葉を借りれば、わずか3ヶ月だけでも日本研修に行って来たら、先進国の技術を学んだ人材として韓国内で高く評価されたという。そんな韓国ITの厳しい環境の中、キスコは創業して14年間黒字を出し続け、しっかりとした中堅企業に成長した。現在は東芝、富士通、富士ゼロックス、京セラ、日本IBM、メットライフなど日本を代表する大手企業と取引しながら、両国のIT業界の架橋的役割も果たしている。


韓国系IT企業として日本進出のパイオニアとされるキスコの成功秘訣を全会長に直接聞いてみた。

 

両国のIT業界の架橋的役割も果たしている日本キスコ株式会社の全熙培(チョン・ヒーペ)会長。


◆「普段の行動こそ最高の営業戦略だ」
全会長が日本に最初の一歩を踏み出したときは1984年。当時、韓国のソフトウェア開発企業である教保情報通信でプログラミング・エンジニアとして所属していた彼は、日本の某大手と推進したプロジェクトのため2年間日本に滞在することになる。以来、日本との縁が続きソフトウェア開発の分野を中心に約20年間に渡って日本で生活しながら韓国ITの日本進出に足場を築き上げた。


1997年に教保情報通信の日本支社の支社長を務めていた彼は当時、日本企業との付き合いで最も重視したことがある。それは信用であった。


「私の行動と言葉はいつも誰かに注視されていると思って、人に接した。“あの人は約束をよく守る”、“あの人間は信じられる”というイメージを植えつけることが出来ないと、私のような外国人が他国で成功するのは難しい。特に日本は口コミが怖いところで、厳しい評判が一度でも出回るとそれを克服することはほぼ不可能。しかし、この業界で“信頼できる存在”として評価されると、他の企業とのプロジェクトにも紹介してもらえる絶好の機会ともなる。そのため、私の普段の行動こそが最高の営業戦略になると判断した。場合によっては、今は損しても長く付き合うことが出来れば、結局は得と思って、取引先の関係者との信頼関係を築くことに集中した」


そのように努力して積み重ねた20年以上の人脈のネットワークは、2001年のキスコ創業と同時に実を結ぶ。創業初年度から黒字を記録したのだ。特に、キスコの営業方法は“ターゲット絞りによるアプローチ”という破格の戦略で、関係者の間で話題になった。簡単に言えば、信頼できる企業や憧れの企業に集中してビジネス関係を結び続けるという営業戦略。創業したばかりの一介の中小企業が選んだ営業戦略とは到底考えにくい無謀な発想に間違いないが、全会長の考えは違った。


「信頼関係とは、一方がどんなに信頼させようとしても、相手がそれに応じる信頼を与えなければ成り立たない。だから、自分勝手で生意気だが、取引先を選んで営業活動を展開した。選ぶ基準は信頼性で、“果たして信頼できる会社なのか”、“中小企業との取引をどのように考えているのか”をまず参考にした」


中小企業が大企業とトラブルを起こした場合、必ずといってもいいほど、損をすることになる。そのため、中小企業は常に弱者の立場。さらに、自国でもない他国であれば、問題はより深刻になる。IT業界であらゆる経験をしてきた全会長がそれを知らないはずがない。「他人の前では堂々とした態度で自信満々なふりをしたけど、実は本当に怖かった」とそっと打ち明けたほどだが、それにもかかわらず全会長がこのようにユニークな戦略を展開したのは、キスコの技術力とノウハウの面で自信があったからだ。

 

全会長はキスコの技術力とノウハウで自信があった。


◆「技術力の共有に両国の未来がある」
キスコの技術力を物語る代表的なエピソードがある。日本の大手企業F社との取引がそれだ。当時、F社は米国アドビシステムズ社の新しいプログラム言語Flexを活用したシステムを開発しようとしたが、開発されたばかりの新言語だっただけに、多くの部分で壁にぶつかることになる。


そこで、F社が開発を依頼した会社がキスコ。インターネットの普及とゲーム産業の発展でITブームを迎えていた韓国だったとはいえ、新言語に対する理解の面では日本と同様な状況。しかし、キスコはあきらめなかった。韓国人のプログラマーが何から何まで新しい言語のFlexを学んで、依頼された課題を一つずつ解決したのだ。


前述したように、日本は口コミの威力が大きな社会だ。このニュースはすぐにFlexベースのアプリケーション開発に意欲を見せていた他の大企業にも広がり、キスコの信頼性がグレードアップされるきっかけとなった。もちろん、各種の依頼が前より急増したのは言うまでも無い。女性社員1人を採用しただけでスタートしたキスコが200人規模の従業員を傘下に持つ企業に発展した原動力は、やはり韓国ITの優れた技術力であった。ちなみにキスコのプログラマの約80%は韓国人である。


しかし、全会長は今の韓国と日本の技術力の差を問う質問に冷たいほど客観的な分析を出す。質問自体が無意味だという叱責と同時に、これからは両国IT業界の将来を考えなければならないという指摘であった。


「韓国のIT技術が以前よりも大きく発展したのは事実だ。ゲーム産業の発展、スマートフォンの普及に、先に目を向けたのが功を奏して、韓国の技術力が日本よりも優位を占める分野がかなり増えたからだ。しかし、日本は以前から韓国に技術移転を行ったIT先進国だし、何よりも韓国の5倍に達する巨大な市場を持っている。今は福祉問題や社会的諸問題などによるコスト増で企業が負う負担が増えたため、その動きや判断が以前より鈍くなった面が目立つけど、結局韓国も同じ道を歩くしかないと思う」


「また、技術力というのは、一つの国で独占されるものではない。経済発展を背景に、技術力も移転されている現象が最近頻発に見られるし、中国がIT分野で急速な発展を成し遂げるのが代表的な例だ。既に成熟段階に入った日本と韓国のIT市場が生き残るためには、技術力の共有を介して新しい活路を一緒に模索しなければならない」

 

「専門経営者による、または社員出身の役員・経営者がキスコをリードするようにさせたい」


◆お金より企業を経営する“専門家”
そのため、全会長が創業以来最も力を入れる分野の一つが韓国IT人材の日本進出である。以前までは、日本のIT需要に対応する側面が強かったが、最近では両国のIT交流のためにも多くの人材が日本に進出することを望ましいと彼は思っていた。その努力の一環として、これまでキスコ本社と関係会社が採用した韓国IT人材は1000人を超える。


また、キスコは、両国企業の協力において仲介者の役割も果たしている。全会長の30年間の人脈とキスコの高い信頼性に引っ張られて、韓国または日本への進出を図る企業にとって最高の営業パートナーになっている。モバイルとインターネット、SI(システムインテグレーション)など、主にソフトウェアの分野を担当しているキスコが、このような仲介(コンサルティング)事業を推進する理由は、「両国の政治的衝突と不協和音は、民間の人的交流とビジネス協力を徹底することで解決・克服することができる」という全会長の哲学が影響した結果だ。


両国のIT業界をリードしてきた全会長は、これから人生の第3幕を開けようとしている。“お金”より企業を経営する“専門家”になりたいという思いで起業を決意した全会長らしく、第3幕の目標にも普通の人間にはできない格違いの理想が盛り込まれている。


「企業はある程度の規模に達すると、一人のものではない。個人のものになると、その企業は社会に融和できず金だけを追う下品な商人にとどまる。企業は、その企業の組織員のものであり、社会のものにならないといけない。だから、自分の子供たちに譲る気はない。専門経営者による、または社員出身の役員・経営者がキスコをリードするようにしたい。現在、韓国キスコの代表も社員出身で、日本キスコの場合も専門経営者を迎え入れて運営している。私の人生の第3幕の目標は、従業員が無事に役員になって、経営者になって、組織員と一緒にキスコを長く導いていくことだ」

 

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