「セウォル号」沈没事故で犠牲になった京畿道安山檀園高校の生徒らを偲ぶための臨時合同焼香所が23日午後、京幾安山オリンピック記念館に設けられた。|安山=イム・ヨンム記者 |
[スポーツソウルジャパン|編集局] セウォル号沈没事故が起きてから9日目を迎えたが、24日の現在まで約140人の安否がまだ分からない状態だ。さらに悲惨なことは、人生を始めたばかりのたくさんの生徒たちの死だった。
修学旅行のためセウォル号に乗っていた京畿道安山(アンサン)檀園(タンウォン)高校の生徒たちの犠牲が最も多く、325人の2年生の内に今まで75人しか救助できなかった。特に2年9組と10組の場合は“悲劇”そのもだった。それぞれ23人のクラス定員のうち、3人だけが生きて変えた。死んだ人にも生きた人にも、とても受けいれない現実だ。
去る22日、ようやく9組の女性学生たちの遺体が初めて発見された。家族は子供が生きて帰ってくる、そんな奇跡が起こるのを祈ったが、子供たちは冷たい遺体になって親の胸に抱かれた。
船の右側にある客室にいた9組と10組の学生たちは、他のクラスに比べて救助された人員がはるかに少なかった。9組は23人中に2人、10組は23人中に1人だけが船から脱出した。9組・10組に犠牲者が集中された理由は、船が左に傾きながら沈没したからだ。
「セウォル号」沈没事故で犠牲になった京畿道安山檀園高校の生徒らを偲ぶための臨時合同焼香所が23日午後、京幾安山オリンピック記念館に設けられた。|安山=イム・ヨンム記者 |
韓国マスコミ<国民日報>は、セウォル号が左に傾けながら沈没したため、左側の客室を割り当てられた学生たちが事態の深刻さをすぐ把握し、海に飛び込むことも比較的に簡単だったと分析した。その一方、右側の客室で待機していた9、10組みの生徒たちは、すでに60度以上に傾いた傾斜を上がってドアの外に脱出するのが非常に困難だったと思われる。
学生たちの脱出を助けた9組の担任先生チェ(24、女)氏も死亡した。チェ氏は当時、facebookに「心配しないで。皆が出ったら先生もいくよ」という文を残した。彼女は10人の学生を救出したが、本人は船から出られなかった。
9組と10組の生存者の3人は、突然全ての友達と先生を失った。生きた喜びところか、自身だけが逃げたという罪悪感で苦しんでいるという。心的外傷後ストレス障害による精神的な不安も見えているという報道も出た。生存者の親たちは、「生き残った子供たちさえ、罪人になった心情だ」と吐露した。現在も必死の救助活動が行われているが、生き残った者にも適切な治療支援が必要だ。