10月28日に行われた韓国の国政監査で、中国出張などを理由で欠席意思を伝えた李富真(イ・ブジン)ホテル新羅社長(左)が、同日開かれた「サムスングループ・新経営20周年晩餐会」には出席。論争の対象となった。写真は今年1月9日、李健煕(イ・ゴンヒ)サムスングループ会長の72歳の誕生日を迎えた晩餐会に出席した李富真社長(左)。|スポーツソウルドットコムDB

 

[スポーツソウルドットコム|ソン・ヒョングンインターン記者] 韓国財界トップであるサムスングループの大内外行事は、いつも世間の関心が寄せられる。先月28日午後、ソウル・奨忠洞(チャンチュン・ドン)にあるホテル新羅(シーラ)で開かれた「サムスングループ新経営20周年晩餐会」も同じもようだった。李健煕(イ・ゴンヒ・72)サムスングループ会長をはじめ、洪羅喜(ホン・ラヒ)リウム美術館長(妻)、李在鎔(イ・ジェヨン・45)サムスン電子社長(長男)、李富真(イ・ブジン・43)ホテル新羅社長、李敍顕(イ・ソヒョン)第一毛織副社長(次女)など。サムスンのオーナー一家が集まる行事なだけに、晩餐会が始まる予定時刻前から、各マスコミは関連記事を次々と報道した。
記者生活を始めたばかりのインターンという身分で“乗り越えられない壁”と考えた韓国財閥家を取材する機会はなかなかないもの。しかし期待が大きかったのだろうか。ときめく心臓の鼓動を抑えながら、現場を駆けつけたが、正直サムスン一家の第一印象は、何故か期待を裏切られたかのような風景だった。
サムスンのオーナー一家をはじめ、副社長級の役員350人以上が集まった「サムスングループ新経営20周年晩餐会」は、華麗で雄大な祝祭だった。世界第一を目指すグローバル企業に相応しく、招請歌手らもあのチョー・ヨンピルやバダ(SES・ソロ女性歌手)など、トップクラスで構成され、晩餐会の入口には各マスコミの取材陣が殺到していた。

 

28日、晩餐行事が始まる18時になると、李在鎔社長(左)と李敍顕副社長が、李健煕会長の後をついて会場に入った。しかしこの時、李富真社長は姿を見せなかった。|スポーツソウルドットコムDB

 

行事が始まる18時に近づくと、李健煕会長と洪羅喜リウム美術館長、李在鎔社長、李敍顕副社長が到着。無数のスポットライトを浴びながら、会場内に入った。しかし、李会長の長女である李富真社長がいなかった。現場の記者たちは、李富真社長が“国会の国政監査に行ったのではないか”とざわめき、「国政監査か、出張じゃない?」と、ホテルの入口にいる記者らは、ひとりふたり現場を去っていった。
同日、企画財政委員会の関税庁による国政監査には、免税店事業の85%を占めているロッテと新羅の独寡占に対する集中質疑が行われる予定だった。李富真社長は参考人として出席を求められたが、中国事業による出張を理由に、欠席自由書を提出した。現行国会法及び国政監査法上、参考人が出席しなくても、証人とは違って制裁ができる法的根拠はない。李富真社長の不出席によって、ホテル新羅の運営総括を務めているハン・インギュ副社長が参考人として出席、ロッテ免税店は李元濬(イ・ウォンジュン)代表が出席した。
しかし、李富真社長は同日開かれた「サムスングループ新経営20周年晩餐会」に出席していたことが、後から確認された。国会出席はせず、グループ行事だけに顔を出したわけだ。外部からの厳しい視線を意識したのか、通常李会長をホテルのロビで迎えることも、この日はなかった。調べによると李富真社長は、社長執務室から晩餐会場に直行したという。晩餐会が終わってからは、取材陣らが待っている会場入口から少し離れたロビに“一瞬”姿を現せた。そして取材陣のカメラが光ると、李富真社長は慌てて現場を離れていった。


李富真社長がこの日みせた身のふり方は、“ノブレス・オブリージュ(位高ければ徳高きを要す)”とは程遠いものだった。
中国出張のために提出した不出席事由書に説得力を持たせたいなら、せめて同日開かれたグループ晩餐会も“不出席”すべきではないのか。
結果的に、韓国を代表するサムスングループ会長の長女という位置はともかく、韓国の代表的ホテルのオーナーとして、その行動は正当ではなかった。李富真社長の身のふり方は、父親が主宰した“新経営20周年晩餐会”の「玉に瑕」となったのだ。

 

 

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