内部統制やリスク管理、コンプライアンスなどの経済分野で特急専門家として評価されている洪聖協博士。 |
[スポーツソウルメディアジャパン|安・ビョンチョル記者] 済州島出身の24歳の青年が約22年前に日本という異国の地に渡ってきた。ただ勉強がしたいという一念で決定した留学だが、その後の道は容易ではなかった。学費と生活費を稼ぐため、日本に渡ってから2週だけでアルバイトをはじめ、焼肉店で夜7時から翌朝5時まで仕事をしなければならなかった。学業と仕事を並行する生活は、大学と大学院を進学しても続けられた。しかし、彼は幸せだったという。物理的・肉体的に苦しい環境の中でも、自分がやりたかった勉強ができたそのことに常に感謝した。
22年が経った今、その青年は、内部統制やリスク管理、コンプライアンスなどの経済分野で日本の第一人者と呼ばれる程、最高の専門家班列にその名を上げている。なんと1200社以上の日本上場企業で教育や研修プログラムを担当して、管理の要職や経営者を対象に250回以上の講演も行い、経済分野での特急専門家として評価されている。
日本生産性本部ERMの主席研究員で、YSCIグローバル経営戦略研究所の所長を務め、東京未来大学モチベーション行動科学部教員である洪聖協(ホン・ソンヒョップ)博士がこの物語の主人公だ。
7月25日、<スポーツソウルメディアジャパン>日本支社に洪聖協博士が訪問した。洪・博士とのインタビューには、焼肉屋の“店員”'が日本最高の“講演のプロ”に成長する話と経済専門家の視点から見た日本経済の現状と展望など、興味深い話でいっぱいだった。
洪・博士のエキサイティングな人生の物語と現日本政府の経済政策アベノミックスに関する明確な分析を、一問一答の形式で盛り込んでみた。
-日本にはいつ来たのか?
1991年24歳の時に日本に渡ってきた。その時は88年に海外旅行が自由化された直後で、今と違って留学が容易ではない時期であった。勉強がしたいという思いで渡ってきたが、学費や生活費などを自分の手で用意しなければならなかった。到着して2週間後からすぐにアルバイトを始め、時給850円の焼肉店で午後7時半から翌日の午前5時半まで仕事をした。最初は日本語だけを学んで戻るつもりだった。ホテルの多い済州島が故郷だったため、日本語を身に付けた後、あそこで就職するつもりだった。しかし、勉強を続けたい気持ちもあって、悩んだ末に93年、日本大学の経済学部に入学した。
-日本語学学校での1年半間だけの勉強で、大学生活は大丈夫だった?日本語のことをどうやって勉強したか?
子供の頃から本が好きだった。日本に来て6ヶ月から日本の本を読み始めた。村上春樹の小説をはじめ、多くの作家の小説や評論集などを片っ端から読んだ。今考えてみれば、それが日本語の実力と自信感が大きく成長する原動力になった。1年ほど経ってからは自然に書くことができ、おまけに日本人の考え方も理解してきた。会話の面も、日本のお店でアルバイトをしたおかげで、少しずつ実力が増え、大学生活をする頃には授業を理解するのに大きな支障はなかった。
- 大学生活はどうだったのか?
入学して最優先の目標として立てたのが奨学金だ。1年生の時は、バイト時間以外には、ひたすら図書館で勉強した。幸いにも運が良くて、4年間奨学金を受け取ることができた。もちろんその間にもアルバイトは休まず続けた。一ヶ月30日の中、27日以上は学校が終わると会社に出勤するようにアルバイト店に向かった。おかげで、潤いとは言えないが、生活できる最低限の経済的基盤を用意した。2年生からは韓国人留学生会の活動を始め、4年生の時は留学生会の会長を務めた。その時期の出会いが今までも良い縁になっている。
-15年以上を他国で一人生活を続けた。一番大変なことは?
逆に私の中学校生活を考えると、日本での生活は楽しい日々だった。勉強をしたくてもろくにできない貧しい家庭で育てられた。日本は奨学金制度が充実している。運良く留学生活の間にいくつかの奨学金をもらうことができ、バイトと並行しながら、より勉強に集中することができた。そのため、韓国よりもこちら日本の生活が、私には幸せそのもの。また、日本は挑戦するチャンも私に提供したのだ。あえて苦労した記憶といえば、他郷暮らしの孤独さと未来に対する焦りが一番大変だった気がする。
- どのような目標で学者の道を選んだのか?
大学院の修士課程までは、仕事なのか勉強なのかの選択で大変悩んだ。博士学位の勉強を始めるまでには、その悩みで夜も眠れなかった。32歳という年齢が何よりも大きな負担になった。しかしせっかく始めた勉強を続けたい、日本で一番になりたいと思い、勇気を出して学業を継続することを決定した。
外国人として経済の分野で最高専門家になることを目指した。日本という主流社会で非主流の外国人がどれだけ通用するかを一度試してみたかった。その目安として立てた具体的な数値が、日本上場企業1000社での教育研修と200回以上の講演だった。
- 最初の講演はどうだった?
当時、日本企業が興味を示した分野は、内部統制やリスク管理、企業倫理についての講演だった。それに合わせて独自のレッスンコースを徹底的に準備した。そして「私はホン・ソンヒョプというものです。このコースで講演をやってみませんか」とあちこちに電話をかけ回した。今考えるととんでもない行動だ。そのように電話をかけ回しながら講演を取り始めるための努力を尽くした。
様々な努力の結果、やっと最初の講演が決まった。しかし、最初の講演に入ってきた人の数はたった一人。絶望そのものだった。すべてを投げ出して放棄したいという気持ちに包まれた。がっかりしたあまり、講演を紹介してくれた方とお酒を交わした時、「申し訳ありません。もうやめます」とお詫びした。すると、その方は、「あなたの講演を見るために今日一人が来たのよ。この一人を大切に考えてください。次の講演では、二人が来て、10人が来て、そのように増えていく可能性があると信じて行きましょう。勇気を持て頑張ってください」と応援してくれた。その言葉を聞いて歯を食いしばり、最後まで行ってみることにした。すると、その方の話のように人々がますます増え、教室を段々埋めていった。
- なぜ、日本の企業が外国人学者に講演を任せたのか?
親しい後輩の助けもあったが、その分野は私が、日本の他の監査法人や学者よりも先に専門的な知識を積んでいた。その点が最大のメリットとして働いたと思う。講演のために1)企業の危機管理、2)地震などの災害が迫ってきたときの対処方法、3)企業の内部統制、4)企業倫理、5)パワー•ハラスメント、6)組織管理と戦略などを準備した。特に企業の内部統制有効性評価に関連するテーマで講演をするのは、その時私がほぼ初めだった。このような利点で、日本の大企業や外資系企業などが関心を示した。また、それに応じて講演のテーマや範囲も段々広めて準備した。2007年から本格的に始まった講演は、最中には週4、5回程度もしたことがある。
-1,000社の上場企業での教育と200回の講演という目標は達成したか?
初めて立てた目標は達成した。これまでに1,200〜1,300社で教育を担当し、講演はすべて250回をしてきた。
次の目標として2つのことを考えている。学者として、一般企業や人々に貢献できる研究をしたい。特定の人々だけでなく、企業を構成するみんなに利益をもたらすことができる研究成果をいつかは出したいのが夢。このため、着実に本を出す必要があると思い、これまで計3冊を出版した。10冊ぐらいまで出版することができれば、日本だけでなく韓国や他のアジア諸国でも講演をしたいと思う。
二番目は、私が学んできたことを後輩にも施し、良い人材を育成することだ。私のように厳しい環境で努力している学生を特に助けたいと思う。
洪聖協 経済学博士。 |
- 経済の専門家としてのアベノミックスを分析すれば?
現在の経済学問では、アベノミックスを分析する理論がない。一見するとケインズ主義の景気刺激策に見えるが、それはもう1世紀前の経済学から見た視点。
一般的に景気が厳しくなれば金利と金融を利用して景気の制御に乗り出すが、これはインフレの状況を前提とした景気対策。日本のようにデフレ景気を想定して実施された金利・金融対策は一度もなかった。
金融資本主義が世界を支配している状況であり、ギリシャの財政危機が日本にまで多大な影響を与えるグローバル経済の時代である。大々的な景気刺激策としても、ポルトガルやイタリアなど欧州の財政危機が再び起きると、どのような効果をおさめるのか断言できない構造でもある。このように今の世界経済を説明する経済理論がまだ用意されていない状況で、アベノミックスの是非を評価するためには、もう少し見守る必要がある。
- 阿部ノミックスが成功するには?
成功の鍵は二つに圧縮される。まず、短期的なカギは、賃金労働者の給料をいくらまで引き上げるのができるのかだ。日本の賃金は過去15年間、下り坂だった。さらに、約40%に達する非正規の割合と、来年3月に予定された消費税の8%引き上げは、景気浮揚に大きな負担として作用している。大々的な金融緩和でインフレを発生させるという目標は、一定の効果をあげているが、上述した背景に加わって庶民物価まで高騰すれば、徐々に上昇している景気が再び墜落する可能性が高い。従って、賃金労働者の給料引き上げは、アベノミックスの核心中の核心だ。
日本は金融緩和やインフレの発生など、大々的な景気刺激策で良い成果をあげた。特に円安を導き出した部分が大きく響き、日本企業の決算成績が大幅の好調ぶりを見せた。この流れを継続するためには、今年の夏と秋のボーナスと来年3月の春闘で一般社員の基本給を引き上げしなければならない。
賃金の引き上げが短期的なポイントなら、少子高齢化問題の解消は長期的な課題である。日本はこのままでは"老人の国"になる。今の出生率が2050年まで続いた場合、日本の全人口の3分の1に当たる4000万人が消える。日本はすでに成熟経済に入ったため新興国のような爆発的な内需の伸長は期待できないとしても、人口の急激な減少は政策的対応で防ぐことはできる。ヨーロッパのフランスは、少子高齢化を解決するために子供を産んで育てることに優しい環境を整備し、同時に積極的な移民政策も並行して見事に克服している。
今年、日本は2.7〜3.1%の経済成長率を示すと期待されるが、賃金の引き上げと少子高齢化を解決できなければ、来年から経済は再び総体的難局に陥ることは避けられないと思う。
- 最後に、夢や願望があれば?
夢のために留学を来て、最初に立てた目標はすべて達成した。これからの人生は、自分を信じて努力する青年たちを支援することに力を入れていきたい。また、日本の社会に貢献しながら韓国と日本の架け橋の役割を果たし、政治争いやマスコミに振り回されない丈夫な韓日関係の構築に少しでも力になりたい。
洪聖協 経済学博士。 |