権 五定(龍谷大学 名誉教授)
長年、在日女性文学同人誌『鳳仙花』を主宰し、オモニたちの身の上話を文学作品として記録し、在日女性たちの生き様を広く知らせることにご尽力された呉文子氏。彼女の、「在日」コリアンとしての80年の歩みを綴った『記憶の残照のなかで』が巷で話題になっている。日本における在日コリアンの歴史はもちろん、呉文子氏のしなやかさと心強さ、韓半島と日本を繋ぐ深い愛情などがにじみ出ている内容になっている。
1.壮絶な記憶の綴り
呉文子氏はこの本の序章で“これから記す私の半生(の記憶)は…私の家族史でもあり…”と書いている。ただ、ここに見る「私」も「私の家族」も東アジア史においては大きな存在である。「私」と「私の家族」を通して見える時代がまず大きい。植民地の時代、世界大戦の時代、そして、コリア半島における南北分断と戦争の時代、在日コリアン社会の分裂と葛藤の時代、…これらの時代を包む東西冷戦体制の時代の中に「私」と「私の家族」が堂々と生きていたのである。植民地下の不条理、戦争の怖さと非人道性、民族の分裂によるイデオロギーとアイデンティティと真実の錯綜、東西対立という津波のような凶暴なパワーに翻弄される「私」と「私の家族」がいた。しかし、「私」と「私の家族」は翻弄されてばかりいたのではない。不条理と戦い、錯綜するイデオロギーと真実の調和を求め、強大な物理的パワーに立ち向かうエネルギーを創造していった。「私」と「私の家族」はどうしてそれほど大きな時代を堂々と生きて来られたのか。「記憶の残照…」を読んでゆくとその答えが自ずとわかってくる。まず、「私」と「私の家族」は生きる道を明確にしており、その道が誤っていることが分かった時、それを修正する柔軟性を備えている。そして、「私」と「私の家族」は集団から解放して「個」の自由と無限の可能性を育んでいく。
2.優しい多様な記憶の構成
「記憶の残照…」は、序章・「記憶の残照のなかで」から、第1章・「家族のあの日、あの時」、第2章・「在日女性たちの想い、希い」、第3章・「かけはし」、第4章・「魂をゆさぶる声、舞い」、第5章・「出会い、ふれあい、響き合い」、第6章・「観て、聴いて、感じて」、第7章・「惜別の言葉」、第8章・「寄り添いて」まで、九つの章に構成されている。最後には、三浦小太郎氏の寄稿文『「楽園の夢破れて」北朝鮮帰国事業を最初に告発した関貴星』が載っている。一見して優しい日常の営みが内容の中心になっているようだが、その「私」の生の営みの内容の多様性、営みの次元と場の厚さと広さのために、一人の女性の生活やヒストリーを読んでいる気がしない。多様な「私」の生の営みの厚さと広さから「普遍」が読み取れるのである。第1章に「扶余白馬江にて」という紀行文がある。扶余生まれのこの書評の筆者は、呉文子氏が扶余で何を見、何を思って、何を感じたか大変興味が沸いてまず読んでみることにした。最初は友たち二人(順秋と君子)と韓国を旅し、扶余によって見た変哲もない話が綴られているかなと思った。しかし、読み始めてすぐ「私」から「普遍」に通じる深い記憶が重量感をもって載っていることに気が付いた。父親(関貴星)、夫(李進熙)とともに、金達壽、徐彩源、鄭詔文氏らが登場し、彼らの節義と三千の宮女たちの節義が重なって「私」の記憶の重量感を上げているのである。“…宮女たちの節義と現代の節義、節義とはかくも重く、そして虚しいものか…”「私」と「私の家族」、そしてその周辺に最も重く伸し掛かっていたものが「節義」だったかもしれない。その節義は、自分たちの知性、自由意志、信念、哲学や美学をもって自分たち自ら育ててきたものに違いない。体制有用性によって教化される忠誠心や愛国心とは次元が違っていたのである。だから、容易く捨てること、曲げることができず、結果的に祖国を訪問することもままならない時代があった。その時代の記憶を、滅びる王朝への節義を抱いて落花のように白馬江に身を投げた宮女たちに重ねて思い起こしているところで、「私」の記憶は「普遍」になる。
出版記念会には著名な韓日各界の文化人たちが出席し、出版を祝った |
3.生きる中の抵抗と創造
「私」の生きることは、そのまま日韓両国の文化の体験・学習であり、同時に両国文化の交流であった。パンソリ、サムルノリから現代音楽まで、そして、最近の韓流のような大衆文化・映画の世界が「記憶の残照…」の中に広がる。生きること・文化は当然社会の制度とつながり、その中で問題や矛盾も見えてくる。儒教社会における家父長制・戸主制の矛盾、ジェンダー問題、日本軍慰安婦問題などが、大きな時代と空間を生きてきた「私」の記憶の中に再現され、また、文化的・社会的問題や矛盾を解決するために展開される運動の中に「私」がいた記憶も綴られている。「私」と「私の家族」は文化的・社会的あるいは政治的問題や矛盾に立ち向かう運動の先方に立っていた。『季刊三千里』、『季刊青丘』、そして、『鳳仙花』と『地に舟をこげ』と関連した事実―記憶を辿れば、在日コリアンの夢、願い、文化的・社会的貢献、在日コリアン、特に女性たちの生き様、韓国人、日本人との交流もわかってくる。「私」は在日コリアンの女性として、韓国・北朝鮮・日本とかかわりながら80年を生きてきた。葛藤、挑戦、運動、抵抗…を繰り返しながらの記憶が、結局、調和と共生きの記憶の中にまとめられていく。韓国―朝鮮人として、韓国―朝鮮人と“ともに生きる”ことを模索するという可笑しさ、同じ地域社会に一緒に居住する日本人と“ともに生きる”道を探る絶妙な生き方の記憶が読むものを豊かにしてくれる。集団の殻を破いて一個人になった「私」の人間としての豊かさが「共生」を通して、また新しい「私」の世界が創造されてゆくからである。こうして「私」の80年は100年、800年と続いていくと思う。