パク・チソンが14日、韓国・京畿道(キョンギ・ド)水原市(スウォン・シ)にあるパク・チソンサッカーセンターで、引退を電撃発表した。|水原=イム・ヨンム記者

 

[スポーツソウルドットコム|水原=キム・グァンヨン記者] “酸素タンク”のパク・チソン(朴智星・33・PSVアイントホーフェン)が、引退を宣言した。


パク・チソンは14日、韓国・京畿道水原市にあるパク・チソンサッカーセンターで記者会見を開き、「たくさんの方々に来ていただき、ありがとうございます。僕は選手生活を、今シーズンを最後にする予定です」と明らかにした。


パク・チソンは今季エールディヴィジ (Eredivisie、オランダ・プロサッカーリーグの最上位リーグ)で23試合(21選抜)のうち2ゴールを決め、チームが4位に上がることに貢献した。翌年6月まで元の所属チームであるクイーンズ・パーク・レンジャーズと契約されてはいるが、彼は今シーズンで選手生活を終えることにした。
パク・チソンは会見で、「今年の2月から考えていました」と述べつつ「今の膝の状態では次のシーズンを耐えられないと判断しました。試合が厳しい認知した状態で、これ以上は難しいと思ったんです。後悔はないです」と付け加えた。


また、「もし怪我をしなかったらと、思ったことはあります。引退するからって涙は流しません。他の方々の引退式をたくさん見てきましたけれども、昨日まで実感がなかったです。今は未練がないですし、十分に楽しめました。みなさんのおかげさまで良い結果を得られたからだと思います」と述べた。


ファンに対する気持ちも忘れなかった。
 「これまで多くの方々が応援してくださり、良い選手生活ができましたので、心から感謝のことばをお伝えしたいです」としながら「サッカー選手のパク・チソンはいなくなりますが、今までいただいた愛をお返しするために、自分にできることを真剣に考えて、実践していきます」と、ファンへの思いを伝えた。
また、キム・ミンジ元SBSアナウンサーとの結婚については、「来る7月27日にする予定です」明らかにした。


2000年Jリーグの京都パープルサンガでプロ入りを始めたパク・チソンは、2003~2004シーズンにアイントホーフェンで活躍。欧州の舞台での第一歩を踏み出した。
2002年W杯のベスト4と、2005年UEFAチャンピオンズリーグのベスト4(PSV時代)という実績は、イングランド・プレミアリーグの名門、マンチェスター・ユナイテッドの監督アレックス・ファーガソンの目に留まり、2005年7月に400万ポンドの金額でマンチェスター・ユナイテッドに移籍。これはアジア人選手として史上初という記録となる。
2012~2013シーズンは、クイーンズ・パーク・レンジャーズに移籍したが、1年でチームがチャンピオンシップ(2部)に降格され、2013年PSVアイントホーフェンに復帰(レンタル移籍)した。


チソンはAマッチでも2002日韓W杯から2010年南アフリカW杯の本戦3回連続ゴールを記録し、通算100試合の出場でセンチュリークラブ加入という業績を残した。

 

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